この日私は、子供たちの反応をみて
とても悲しくなったこと 自分の力のなさを感じた事がありました。
それは『宿題』についてです。
私は、毎日同じような宿題を出しています。プリント、漢字、音読など。
その配布するプリントが足りなかったため「漢字の宿題を増やすよ」と言ったところ
『えーーーー!!』
『せめて音読を増やして!』
と嵐の如く言われました。
また、ことあるごとに
『宿題無しにして!』
『これできたら宿題なし?』
と子供達は聞いてきます。
これはすごく悲しくなりました。
私は教員をする前
『勉強を楽しくさせる』塾を経営していました。
しかし、
教員という職につき
約1年ずっと一緒に過ごしてきた子どもたちは
『勉強』=面倒くさい
『勉強』=つまらない
と感じていたということです。
塾で培ってきた知識と経験、実績は
目の前の子どもを勉強好きには出来なかったようです。
普通の人からしたら
『そんなの当たり前でしょ』と言われるかもしれません。
しかし、その当たり前を刷り込まれた子どもは
なかなか勉強を進んですることは出来ないでしょう。
私自身
【宿題はあって当たり前】
【授業は教科書を使って知識を伝えることが当たり前】
【宿題は提出して当たり前】
などの当たり前になんの疑いもなくやっていたのかもしれません。
だからこそ
子どもも『勉強』=つまらない
の当たり前を信じ切っているのではないかと思ったのです。
そう思っている間は、
私がいかに勉強の楽しみ方や、宿題をしっかりこなすことや
勉強を楽しむことで得られる素敵な未来を話しても
勉強を楽しむ子どもは現れません。
まずは、その当たり前に
少し穴を開けることです。
『勉強は楽しい』というのは難しいなら
『もしかしたら勉強は楽しめるのかも?』
というくらいの気持ちにさせてあげるその一歩。
それが何より重要だと感じます。
勉強のみならず
その当たり前の先に自分の新しい未来がある。
その当たり前を疑った幅が自分の成長の幅です。