今日は七夕ですね!
皆さんは何かお願いしましたか?
最近、LINE@に登録していただいた方からこんな質問をいただきました。
「ハッピー黒板先生こんにちは。私は、中3の子を持つ母親です。(中略)最近、子供と進路の話をしたのですが、子供にこんなことを言われました。
『お母さん昔言ってたことと違う』って。と言うのも小学生からずっと、子供にダンスを習わせていました。発表会やダンスコンテストなどでいい成績をとったこともあります。昔の娘の夢はダンサーでした。
小学生の頃は私もそれを応援していました。しかし、今は受験シーズン。受験に集中してほしいと思います。しかし娘は、ダンスをできる学校に行きたいようで、受験勉強はそっちのけでダンスばかり。もっと勉強に集中してほしいのですが・・・。
子供からしたら昔はダンサーを目指す夢を応援してくれたのに、今は勉強をしろって言ううるさい親なんですかね。先生はどう思いますか?」
子どもに「夢は願い続ければ必ず叶う」と言うべきなのか、それとも「現実を見ろ」と言うべきなのか。
「夢は願えば叶う」
「夢を見ることが大切だ」
そういう類の話をよく聞きます。
特に、小学生くらいの子には親も先生も「夢を持った方がいいよ」「夢は叶う」と言いますし
子どもが「サッカー選手になりたい」「野球選手になりたい」「歌手になりたい」と言うと
「いいね〜その夢!頑張れ!」と応援することが大半です。
しかしいつくらいからでしょうか?
ある時を境に
「歌手になりたい」「ダンサーになりたい」そんなことを子どもが言うと
「何そんなこと言っているの!勉強しなさい!」
「夢ばかり見ていないでちゃんと現実を見なさい」
「はいはい。またその話。それは大学入ってからでも遅くないでしょ。まずは勉強しなさい」
「自分のこともできていないのにそんな夢かなうわけないでしょ!まずはやるべきことをしっかりやってから言いなさい」
なんて言ったりします。
先生もそうです。
小学校の先生は、「夢を持て」「将来の夢は?」とよく聞きます。
しかし、受験生に言う言葉は「どの学校を受けるんだ?」です。
言っていることがバラバラです。
子供からしたら
あんなに「いいね!その夢」「素敵だね!頑張って!」と言われていたことが
いつの間にか「いけないこと」のようになってしまう。
そしていつしか夢は自分の歩く人生の延長線上
いかにも叶いそうな、このまま生きていけば手に入りそうな範囲内のものを
「夢」として大切にするようになる。
しかし
それもこれも全ては「愛」からくるものでしょう。
子供に
失敗して欲しくない
将来困らないように生きて欲しい
そのような「愛」ゆえに伝えているのかと思います。
しかし
それは「恐れ」からくる愛情なのではないでしょうか?
子供が失敗して傷ついたら嫌だという恐れ
子供が将来お金や対人関係で困ったら嫌だという恐れ
そこからくるものではなないでしょうか。
類は友を呼ぶということわざがあります。
「恐れ」で行動すると必ず
「恐れ」を引き連れてくる
と私は思っています。
私も、出会った子供たちには素敵な人生を送って欲しいと思っています。
それが自分の我が子だったらなおさらでしょう。
その思いが強い故、安全で安定な道を選んで欲しいと思ってしまうのでしょう。
私個人的な考えでは
いつでも子供の夢を応援していける大人でありたいと思っています。
しかし、無責任に「頑張れ!」「できる!」では子どもが失敗した時、夢を諦めた時
自分自身に後悔が残る。
なので、出会ってくれた子供達には
「夢を自分で叶えるための考え方」や
「自分自身が自分の夢や目標を認め、行動に移すことができる自分」を作ることを伝えています。
それが、今回の黒板です。
それがある人にとっては無責任に映るかもしれません。
ある人にとっては自分勝手だと思われるかもしれません。
すべての子どもたちに私の考えが合うとは思いません。
しかし、私は私の考えを持って、信念を持って子どもと接していこうと思います。
私の言うことは全てではない。
いろんな大人の考えを吸収し
自分で自分の人生を選択できる子ども。
そんな子どもを育てていきたいと思っています。
質問、相談等ありましたら
LINE@などからメッセージをいただけたら幸いです。
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