先日
新しい係ができ
子供が自由に活動できる幅を設けています。
うちのクラスの自由にしていい幅の条件は
「それをしたらクラスがハッピーになること」
それさえ満たして入れば
自分の係の範囲内で何をチャレンジしてもOKだと言っています。
すると早速
学習係がこんなことを提案してくれました。
「先生。宿題忘れがなくなるように
ミッションを考えました。
5日間連続で宿題を忘れる人がいなかったら
1時間レクの時間をください」
うん。いいね!やろうか!
即答。
でもね
やり始めると
「これは失敗するな〜」
って思うことがたくさんあるんです。
先生や親は子供より長く生きているし
経験があるからよくわかるんです。
先生や親はこのまま行くとどうなるかをある程度予知できます。
家だったら
おいおい。今ゲームしてたら
宿題するのが9時くらいになるぞ?
それだと寝る時間が遅くなってやれないぞ?
とか
おいおい。
そろそろ受験に本気出さないと
本気だそうと思っても
周りには追いつけないぞ?
とか。
だから
子供が間違った方向に行かないように
先回りしてあれこれ手を出してしまう。
しかし
それって、例えるなら
パズルを完成しようと試行錯誤している人に
完成した絵を渡すのと似ています。
ゴルフで何打も打って全然進まない人のボールを
手でカップまで持って行って入れてあげるのと似ている
ます。
つまり
美味しいところを全て奪っている行為
だということです。
それ子供は楽しいですか?
一見、つまらなさそうにしているものでも
実は子供は本気な時があります。
皆さんだって
パズルしている時
「うお〜〜!これがこれで〜〜〜!楽しし〜〜〜〜!!!」
ってテンション上がってないですよね?
ゴルフやる時だって
「どりゃ〜!うお〜!やべ〜!楽し〜!」
って笑顔になってないですよね?
だいたい真剣な顔して、難しい顔でやっているものです。
子供も同じことがあるのです。
それを
通り越して先に手を出さない方が良いと思います。
そんな風にいうと
こんな反論が出ると思います。
「待てっていうけれど
子供がちっとも勉強しません。
ゲームばかりしています。
それでもひたすら待てというんですか?」
はい。そうです。
ただし
ただ「放置する」のと
「待つ」のは違います。
究極は
子供がやる気にならなければ
やってもほとんど意味がないです。
受験に間に合うかどうかは
わかりませんが
間に合わなくて
本人がショックを受けるなら
間に合わなかった後に本人がやる気になるでしょう。
それでもいいと思うなら
その子に勉強は合わなかったというまでです。
勉強して欲しいのは親の考えであり
子供がどうするかは
子供が決めることです。
しかし、先ほども言いましたが
「放置」と「待つ」は違います。
あくまで
手を出さず
「子供が決める」ということを念頭に置き
「大人のできることをやって、子供が自分から変わるのを待つ」
それが大切だと思います。
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