前回は「食」についてふれて黒板を書き
他の命を使って私たち人間は生きているということを伝えました。
その黒板がこちら
その記事はこちら
そして今回は
感謝について黒板を書きました。
というのも、
この黒板を書く前日。
給食の片付けの時、お椀にご飯粒がびっしり付いていたのを見つけたからです。
前回の記事にも書きましたが
今の子供達は
「足りない」という経験をほとんどしていません。
当たり前のようにご飯は食べられるし
当たり前のように住む場所、着るものはある。
それは、お家の方や地域社会の人々が
この日本を作ってくれたおかげでもあります。
不足を知らずに育つことが出来る
というのは、本当に幸せなことです。
しかし、この
「当たり前」という環境は恐ろしいもので
人は当たり前のことに感謝の気持ちを持つことが出来ません。
当たり前のようにご飯が出てくると
ご飯に対して感謝がもてない。
当たり前のように着るものがあると
着られることに対して感謝がもてない。
そして、人間は
当たり前が続くと飽きる生き物です。
もっといいものがほしくなったり
新しいものがほしくなったりします。
上のことは悪いことではないと思います。
資本主義社会の中で、常に成長を続けられるのは、この心の持ち方があるからです。
しかし、私は
「感謝の心」を大切にして欲しいと思っています。
勉強ができることより
運動ができることより
目の前のことに感謝ができ
それを伝えられる人になって欲しいと思っています。
ただ
「感謝をしなさい」
だけでは絶対に感謝の心は芽生えません。
コミュニケーションには
「強制されることはやらない。または形だけやり続かない」という大原則があります。
感謝をしろ
と言われて出来るなら
初めから子供達はできています。
それをどう子どもに落とし込め
自分の心から感謝が湧き上がるようにするかが大切だと思っています。
そのために
命の話をしたり
ご飯を作る経験をしたり
世界の話をしたり
様々なことをします。
より多くの子どもの心に届くように
日々自分を磨く必要もあるなと改めて感じました。