私ごとですが、最近インフルエンザになりました。
仕事柄インフルエンザにかかりやすい職業ですので
予防接種もして、手洗いうがいも徹底していました。
マスクもかけていました。
しかし、インフルエンザにかかるものはかかるのです・・・
これは、インフルエンザ明けで仕事に向かう電車の中で記事を書いています。
その中でインフルエンザになって気づいたことについて書かせていただきました。
- インフルエンザになって気づいたこと①罪悪感
- インフルエンザになって気づいたこと②感謝
- インフルエンザになって気づいたこと③仕事に忙殺されて自己対話量が少なくなっていた
- インフルエンザになって気づいたこと④仕事に忙殺されて自分の未来を想像していなかった
- 「未来について考える時間を無理にでも作ろう」
インフルエンザになって気づいたこと①罪悪感
体がだるい、頭痛がひどいというのは大前提ですが
まず最初に感じたのが「罪悪感」でした。
申し訳ない
そんな気持ちが頭を駆け巡りました。
・授業が全くできなくなるので、クラスの子は授業が進まない(ごめんなさい)
・私の代わりに授業をしてくれる先生の余計な負担(ごめんなさい)
・無駄に寝込んでいる私を対応してくれる義母さん(ごめんなさい)
こんな感じで、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
でも、本当は申し訳ないことはなくて、インフルエンザの私が学校でやれることなんてないんです。
他の誰かが、授業をしたほうが、子供と関わったほうが圧倒的にコスパがいいのです。
確かにインフルエンザになること自体がコスパ悪いんだけれど、なってしまったものはしょうがない。
インフルエンザになって気づいたこと②感謝
次に生まれた気持ちが「感謝」でした。
申し訳ない気持ちが感謝に変わったというのが正しいのだと思います。
だって
自分がいないのに、仕事が回るということは、誰かが余分に私の普通にやっていた1日の仕事量を代わりにやってくれているということなんですね。
その誰かがいるからこそ私は自分の治癒に専念することができる。
これって当たり前ではないと思うのです。
大丈夫?と連絡をくれる奥さん。
外出れないでしょ?と自宅までご飯を運んでくれるお義母さん。
これって当たり前ではないと思うのです。
インフルエンザになって気づいたこと③仕事に忙殺されて自己対話量が少なくなっていた
ここまでは当たり前のことだったのですが、ここからが少し深い話になってきます。
少しインフルエンザの症状が治ってくると
圧倒的に暇
なんです。
テレビを見てもあまり面白くないですし
YouTubeも、アマゾンプライムも「見たい!」というものもない。
本も読めない(そこまで回復していない)
そうするとどうなるかというと
必然的に「思考」することになるのです。
しかし、これが良かった
やはり、
「自分が何をしたいのか」
「自分が大事にしている価値観はなんなのか」
「この仕事が価値観に対して合っているのか」
そんなことを考える時間になりました。
皆さんは、そんな時間を日常に入れているでしょうか?
インフルエンザになって気づいたこと④仕事に忙殺されて自分の未来を想像していなかった
日々の忙しい生活をしていると
自分の未来について考える時間がなかったことに気がつきました。
理由は簡単。
「やりたいこと」よりも「やらなければいけないこと」がたくさん降ってきて
その「やらなければいけないこと」をこなしているうちに、いつのまにかやりたいことを見失ってしまうという感じです。
仕事はなんのためにしているの?
というと「幸せに生きるため」だと思います。
そんな簡単なことなのに
目の前のタスクをこなさなければいけない
目の前の問題を解決しなければいけない
そんな毎日をすごしていると
そんな簡単なことでさえ、頭の片隅に追いやられてしまっていることに気が付きました。
未来について考える時間を設ける必要性
今回伝えたいところはココです。
「未来について考える時間を無理にでも作ろう」
あなたはどんな未来を目指して歩いていますか?
あなたがしているその行動は、その未来にちゃんと向かっていますか?
あなたがしているその行動は、その未来に到達出来そうですか?
無駄なことはしていませんか?
実は人間には無駄だと思うようなことをたくさんしています。
スマホをいじる時間
SNSをやる時間
ゲームの時間
YouTubeの時間
TVを見る時間
その時間の少しを削って
自分の未来について考えてみませんか??
まとめ:自己対話の時間を無理にでも作ろう
周りにいろんなご迷惑をおかけしたので
仕事で返していきます!!!