学校が再開される
このブログを書いているのは
2020年4月1日の朝です。
今日から新しい年が始まります。
新年度の異動があり、私は違う学校へ移動することになり
どのような学校なのか、どのような子どもたちと出会えるのか
ワクワクしていますが
このタイミングで、やはり考えざるおえないニュースが町中を埋め尽くしています。
それがコロナウイルス(COVID19)です。
東京の感染者が500人を超え
ロックダウンが行われるのではないかと叫ばれている中
このタイミングで
学校再開のお話です。
神奈川県は県立学校の休校延期を決め
東京都もゴールデンウィークまで休校延長をする方針で進んでいるという話がありますが、その他の県は再開をする方向で進めています。
今日は、その正直な思いを綴っていけたらなと思います。
学校はコロナウイルスのクラスター源に大きく当てはまる
クラスターとは「集団感染」という意味です。
一つの集団で感染が広がることを言います。
まず、コロナウイルスがかかりやすい条件は、皆さんもご存知の通り
「3密」
であると言われます。
全てが学校に当てはまります。
①換気の悪い「密閉空間」
②多数が集まる「密集空間」
③間近で会話する発声をする「密接空間」
換気しながら授業を行えばいいと言いますが
半径2メートルの距離を保ちながら、授業を行うのは不可能に近いです。
また、多数が集まり授業を行います。
中学、高校、大学であると、先生が移動したり集団が移動したりして、さらなる拡大する恐れもあります。
オンラインでやればいいやん
ぶっちゃけて言いますと
「授業はオンラインでやればいいやん」
ということです。
zoomを使って出席確認を行い、授業を行う。
ノートやテストなどもオンラインで行い、リモートで授業を行う。
今の技術があればできなくはなありません。
というか楽勝で授業可能です。
学校でオンライン授業ができない理由
しかし、理屈ではオンライン授業ができるのですが
実際にできない理由があります。
それは「平等性が保たれない」ということです。
日本の学校は良くも悪くも
「みんな一緒」を第一に考えます。
オンライン授業ができたとして
システムも導入したとして
「全ての子供が同じ条件でオンライン授業を受けられない」
となれば、行うことができません。
だからこそ、日本の学校は遅れていると言われてしまうのです。
ものすごくもどかしいですが
それが実状です。
授業ってそこまで大切?
今、コロナ休校の影響で行えなかった授業の補填をどうしたらいいのかが
学校の中で問題になっています。
私の知っている市町では、新学期後に新担任が前の学年の授業を補うということになっています。
しかし・・・このご時世
学校の役割、そして、授業の内容はそこまで大切なものなのでしょうか?
仕事はリモートワークを推奨して、できる限り家にいることを要請しているのに、学校はオンラインではやらずに再開します。
仕事よりも学校は大切ですか?
命より学校再開が大切ですか?
そのリスクをしてまで学校を再開させる必要性がありますか?
ぶっちゃけそう思います。
命がかかっているこの時に
再開をしようとしていること自体疑問を感じます。
無症状で移す危険性も無視できない
さらに言うと、コロナに感染した人の8割は無症状であると言う点が恐ろしいところです。
子供は基本的に基礎体温も高いので
無症状の場合、学校では色々なところでウイルスをばらまくことになります。
授業では気をつけていても
休み時間や帰宅中などではどうしようもありません。
気がついたら何人もの子が感染。
その兄弟への感染、親への感染。そして、免疫力の低いお年寄りへの感染が広がる危険性があります。
一番怖いのは身近な人の死を体験すること
コロナで一番怖いのは「死」が身近にあることだと思います。
子どもの方が免疫力が高いと言われていますが
小さい子が亡くなる事例も報告されています。
そして、怖いのは、身近な人の死を体験する子どもが増えること。
自分が持ち込んだウイルスによって、親や祖父母が亡くなった場合
子供の心的ストレスは計り知れません。
学校なんて無理して行く場所じゃない
私は、教員でありながらこんなことを思っています。
「学校なんて、無理して行く場所じゃない」
これはコロナがあるからとかではなく
前から思っています。
いじめや、学校が合わない
そんな時は休んでもいいし、行かなくてもいい。
私自身も、楽しいから、学校が好きだから学校に行きます。
全ての人にとってそんな場所になったらいいなと思っています。